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三菱一号館美術館公式ブログ

三菱一号館美術館 公式ブログ 当館のイベントの様子や出来事をお知らせしていきます。

2015年12月10日

三菱一号館美術館公式Twitterのご紹介「画鬼・暁斎」展100問ツイートアーカイブ(問1~問16/建物編)

皆様こんにちは。
当館では現在「プラド美術館展 ―スペイン宮廷 美への情熱」を開催中です。

本日は、当館の公式ツイッターアカウント@ichigokan_PRのご紹介です。

「画鬼・暁斎」展の期間中の8月25日~9月4日に建物や、展覧会に関する内容を
一問一答形式で皆様にお届けいたしました。この企画の内容をまとめて読みたい
とのお声を頂戴しましたので、本ブログでご紹介して参ります。

また、今回ブログでの紹介にあたりまして、河鍋暁斎記念美術館の河鍋楠美館長から、
展覧会を終えての感想を頂戴いたしました。
以下、投稿内容のご紹介です。

【「画鬼・暁斎」展100問ツイートアーカイブ(問1~問16/建物編)】
まずは三菱一号館美術館の建物に関する一問一答からスタートです。
20151210

【問1】赤煉瓦(レンガ)の建物はいつ建てられたのでしょうか。
【答1】三菱一号館は1894年(明治27年)に三菱が東京・丸の内に建設した初めてのオフィスビルです。
    老朽化のために1968年(昭和43年)に解体され、2009年に復元、2010年4月に三菱一号館美術館として
    開館しました。

【問2】三菱一号館の設計者は誰でしょうか。
【答2】英国人建築家、ジョサイア・コンドルです。お雇い外国人として日本政府に招聘され来日した人物です。
    その業績から「日本近代建築の父」とも呼ばれています。

【問3】ジョサイア・コンドルはいつ来日したのでしょうか。
【答3】1877年、コンドルが24歳の時に来日しました。三菱一号館は彼が42歳の時に設計しています。

―「画鬼・暁斎」展は、暁斎の日本画の弟子であったコンドルが設計した建物に暁斎の作品が展示されていることも
 みどころの一つです。そこで、「三菱一号館」について、よくある質問を紹介いたします。

【問4】赤煉瓦(レンガ)の外観が印象的ですが、煉瓦(レンガ)は全部でいくつ使用されているのでしょうか。
【答4】構造煉瓦210万個、化粧煉瓦20万個の計230万個を使用しています。

【問5】そんなにたくさんの煉瓦はどこでどのようにして作られたのでしょうか。
【答5】中国の長興の煉瓦工場において、一つ一つ型枠に詰めて圧力を加えるという明治の建設時に近い製造方法
   (プレス成型)で造られました。当時の煉瓦の滑らかでしっとりとした質感や色も再現しています。

【問6】積み方にもこだわりや特徴があるのでしょうか。
【答6】三菱一号館は、イギリス積で造られています。日本では明治初期まではフランス積み構造が多く用いられて
    いましたが、(富岡製糸所など)明治20年以降は一号館と同じイギリス積みが主流となりました。
    イギリス積みの方が合理的で建物として丈夫であるとされています。

【問7】煉瓦積には何人くらいの職人がかかわったのでしょうか。
【答7】煉瓦組積造は積み直しや修正がきかないため、技量が必要です。
    そのため、北海道と東京での選抜技量試験をパ スした腕よりの煉瓦職人約100名に集まって頂きました。
    とくに外壁の煉瓦積みには高い技術が要求されました。

【問8】館内の中央階段も印象的ですが、見どころはありますか。
【答8】よくみると、手摺石に他と異なる色の石が混ざっていますが、これは明治時代に使用されていた部材を
    再利用したものです。設置場所も当時と同じ位置に取り付けています。

【問9】石自体も、当時と同じものなのでしょうか。
【問9】本来使用されていた石は伊豆青石ですが、現在採掘されていないため、復元部材には青石と同種(凝灰石)
    で見た目の近い雲石(中国)を使用しています。

【問10】屋根にも特徴はありますか。
【答10】屋根は、スレートと呼ばれる薄い石でできた屋根瓦を使用しています。明治時代には国産の天然スレート
    (宮城県雄勝産)を使用していましたが、現在は非常に生産量が限られており、復元部材には、スペイン産
    天然スレートを採用しました。

【問11】加工方法にも特徴はありますか。
【答11】スレートは切断時にエッジが明治の建設時と同様に柔らかな表情となるよう、
    機械カットではなく押し切りによる手作業で行っています。

【問12】三菱一号館美術館と言えば、Café1894も話題のスポットですが、明治期には、あの空間はどのように
     使用されていたのでしょうか。
【答12】銀行営業室として使用されていました。当時使用されていた銀行カウンターまで復元しているので、
    その様子をうかがうことが出来ます。

【問13】Café1894の天井はとても高いですが、何メートルあるのでしょうか。
【答13】天井高8メートルです。

【問14】Café1894の照明も印象的ですね。
【答14】明治の竣工時はまだ電気が通っていなかったので、ガス灯を使用していました。
    当時の状態を復元するために、ガスの量を調整するために使用していたコックまで再現しています。
    Café1894をご利用になった際にご確認下さい。

【問15】Café1894のガラスを通して外を見ると、ゆらゆらしているような気がするのですが。
【答15】Café1894のガラスは明治時代にヨーロッパから輸入された手吹きガラスが使われています。
    復元に当たっては、旧・新丸ビル(昭和27年竣工~平成16年解体)のガラスを再利用しました。
    戦後の機械製法初期のもので多少の歪みがあるので、外の景色にゆらぎが発生しているのです。

【問16】その他、Café1894の店内でトリビアがあったら教えてください。
【答16】ボックスシートの後ろ側に、“かまぼこ”のようなくぼみがありますが、このくぼみは銀行営業室として
    使われていた当時には、金庫があった場所でした。その名残で、くぼんでいるのです。

次回は、「画鬼・暁斎」展担当学芸員・野口玲一にインタビューを行った内容をご紹介して参ります。
お楽しみになさってください。

続く。

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三菱一号館美術館公式Twitterのご紹介「画鬼・暁斎」展100問ツイートアーカイブ(問1~問16/建物編)

皆様こんにちは。
当館では現在「プラド美術館展 ―スペイン宮廷 美への情熱」を開催中です。

本日は、当館の公式ツイッターアカウント@ichigokan_PRのご紹介です。

「画鬼・暁斎」展の期間中の8月25日~9月4日に建物や、展覧会に関する内容を
一問一答形式で皆様にお届けいたしました。この企画の内容をまとめて読みたい
とのお声を頂戴しましたので、本ブログでご紹介して参ります。

また、今回ブログでの紹介にあたりまして、河鍋暁斎記念美術館の河鍋楠美館長から、
展覧会を終えての感想を頂戴いたしました。
以下、投稿内容のご紹介です。

【「画鬼・暁斎」展100問ツイートアーカイブ(問1~問16/建物編)】
まずは三菱一号館美術館の建物に関する一問一答からスタートです。
20151210

【問1】赤煉瓦(レンガ)の建物はいつ建てられたのでしょうか。
【答1】三菱一号館は1894年(明治27年)に三菱が東京・丸の内に建設した初めてのオフィスビルです。
    老朽化のために1968年(昭和43年)に解体され、2009年に復元、2010年4月に三菱一号館美術館として
    開館しました。

【問2】三菱一号館の設計者は誰でしょうか。
【答2】英国人建築家、ジョサイア・コンドルです。お雇い外国人として日本政府に招聘され来日した人物です。
    その業績から「日本近代建築の父」とも呼ばれています。

【問3】ジョサイア・コンドルはいつ来日したのでしょうか。
【答3】1877年、コンドルが24歳の時に来日しました。三菱一号館は彼が42歳の時に設計しています。

―「画鬼・暁斎」展は、暁斎の日本画の弟子であったコンドルが設計した建物に暁斎の作品が展示されていることも
 みどころの一つです。そこで、「三菱一号館」について、よくある質問を紹介いたします。

【問4】赤煉瓦(レンガ)の外観が印象的ですが、煉瓦(レンガ)は全部でいくつ使用されているのでしょうか。
【答4】構造煉瓦210万個、化粧煉瓦20万個の計230万個を使用しています。

【問5】そんなにたくさんの煉瓦はどこでどのようにして作られたのでしょうか。
【答5】中国の長興の煉瓦工場において、一つ一つ型枠に詰めて圧力を加えるという明治の建設時に近い製造方法
   (プレス成型)で造られました。当時の煉瓦の滑らかでしっとりとした質感や色も再現しています。

【問6】積み方にもこだわりや特徴があるのでしょうか。
【答6】三菱一号館は、イギリス積で造られています。日本では明治初期まではフランス積み構造が多く用いられて
    いましたが、(富岡製糸所など)明治20年以降は一号館と同じイギリス積みが主流となりました。
    イギリス積みの方が合理的で建物として丈夫であるとされています。

【問7】煉瓦積には何人くらいの職人がかかわったのでしょうか。
【答7】煉瓦組積造は積み直しや修正がきかないため、技量が必要です。
    そのため、北海道と東京での選抜技量試験をパ スした腕よりの煉瓦職人約100名に集まって頂きました。
    とくに外壁の煉瓦積みには高い技術が要求されました。

【問8】館内の中央階段も印象的ですが、見どころはありますか。
【答8】よくみると、手摺石に他と異なる色の石が混ざっていますが、これは明治時代に使用されていた部材を
    再利用したものです。設置場所も当時と同じ位置に取り付けています。

【問9】石自体も、当時と同じものなのでしょうか。
【問9】本来使用されていた石は伊豆青石ですが、現在採掘されていないため、復元部材には青石と同種(凝灰石)
    で見た目の近い雲石(中国)を使用しています。

【問10】屋根にも特徴はありますか。
【答10】屋根は、スレートと呼ばれる薄い石でできた屋根瓦を使用しています。明治時代には国産の天然スレート
    (宮城県雄勝産)を使用していましたが、現在は非常に生産量が限られており、復元部材には、スペイン産
    天然スレートを採用しました。

【問11】加工方法にも特徴はありますか。
【答11】スレートは切断時にエッジが明治の建設時と同様に柔らかな表情となるよう、
    機械カットではなく押し切りによる手作業で行っています。

【問12】三菱一号館美術館と言えば、Café1894も話題のスポットですが、明治期には、あの空間はどのように
     使用されていたのでしょうか。
【答12】銀行営業室として使用されていました。当時使用されていた銀行カウンターまで復元しているので、
    その様子をうかがうことが出来ます。

【問13】Café1894の天井はとても高いですが、何メートルあるのでしょうか。
【答13】天井高8メートルです。

【問14】Café1894の照明も印象的ですね。
【答14】明治の竣工時はまだ電気が通っていなかったので、ガス灯を使用していました。
    当時の状態を復元するために、ガスの量を調整するために使用していたコックまで再現しています。
    Café1894をご利用になった際にご確認下さい。

【問15】Café1894のガラスを通して外を見ると、ゆらゆらしているような気がするのですが。
【答15】Café1894のガラスは明治時代にヨーロッパから輸入された手吹きガラスが使われています。
    復元に当たっては、旧・新丸ビル(昭和27年竣工~平成16年解体)のガラスを再利用しました。
    戦後の機械製法初期のもので多少の歪みがあるので、外の景色にゆらぎが発生しているのです。

【問16】その他、Café1894の店内でトリビアがあったら教えてください。
【答16】ボックスシートの後ろ側に、“かまぼこ”のようなくぼみがありますが、このくぼみは銀行営業室として
    使われていた当時には、金庫があった場所でした。その名残で、くぼんでいるのです。

次回は、「画鬼・暁斎」展担当学芸員・野口玲一にインタビューを行った内容をご紹介して参ります。
お楽しみになさってください。

続く。

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