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三菱一号館美術館 公式ブログ 当館のイベントの様子や出来事をお知らせしていきます。

2018年10月4日

埋もれた巨匠を発掘!③:アドルフ・モンティセリ

皆さま、こんにちは。
本ブログでは、「フィリップス・コレクション展」に関連した、「埋もれた巨匠を発掘!」シリーズをお届けします。
ロジェ・ド・ラ・フレネ、ハインリヒ・カンペンドンクに続いて、今回の画家は、アドルフ・モンティセリ(1824-1886)。


――安井学芸員に伺います。本展の出品作品についての資料を見たところ、この花瓶のお花が気になりました。
粗い筆致と絵の具の力強さが、存在を主張していて。「アドルフ・モンティセリ」とはどんな画家だったのでしょうか?

アドルフ・モンティセリ 《花束》 1875年頃 油彩/板 Acquired 1961 フィリップス・コレクション蔵

なかなか渋いところをついてきますね(笑)。
モンティセリについては、画家としてももちろん、フィリップス・コレクションのラインナップに加わった経緯も興味深いのですよ。

彼が生きたのは、19世紀まっただなかのフランス。先にご紹介した、フレネやカンペンドンクよりも前の、ロマン派の後半、自然主義や写実主義の時代です。むしろモンティセリは先の二人の説明として出てきた「野獣派(フォービズム)」と言った人たちの先駆けであったといえるでしょうか。

ここで問題です。
先ほど指摘されていた、「絵の具の力強さ」「粗い筆遣い」に、「単色を重ねていく」という特徴も付け加えて、「巨匠」感のある画家、誰か思い浮かびませんか?

――凡庸な答えで恐縮ですが、そう言われて頭に浮かんでくるのは、まさに巨匠感あふれるゴッホくらいしか……。

大正解!(笑)。
実は、モンティセリが注目されるきっかけを作ったのは、フィンセント・ファン・ゴッホなんです。ゴッホが、彼の弟でありよき理解者でもあった、テオに宛てた手紙の中で、モンティセリを評価している記述があります。

その事実からゴッホに影響を与えた画家として、逆に注目されるという。そんな面白い現象が起こったのです。

ゴッホというと、「生きている間には絵が売れなかった」「耳を切り落とした人」など、そのドラマティックなエピソードや、皆さんの頭の中に思い浮かぶゴッホの印象から受ける「ゴッホらしさ」とでも言ったらいいのでしょうか。

その印象から、「感性の人」、「感情のままに絵をかく人」というイメージが強いかもしれませんが、とても勉強熱心で、絵画の歴史や画家についてよく学んでいました。ある意味頭でっかちな部分もあった画家でなのです。

――もしかして、フィリップスさんは、ゴッホの記述からモンティセリに興味を持ったのですか?

おお!鋭いですね。おそらくそうではないかと。
印象主義から現代までの(当時の意味で)モダニズムの流れを結びつける画家として、フィリップスは、モンティセリのことをコレクションになくてはならない画家、という風に考えたのではないかと思います。

つまり、コレクション全体を見渡して、モンティセリの作品が必要だと判断したのです。これは、バランスを重要視するダンカン・フィリップスというコレクターだからこその選択ともいえます。

この「埋もれた巨匠」シリーズに選出されたことからお気づきかもしれませんが、美術史の中でモンティセリは、マイナーな画家と言っていいと思います。彼の回顧展は、1995年にブリヂストン美術館さんが開催された、『特集展示:モンティセリ』くらいかと思います(さすがブリヂストン美術館さん!)。

―――モンティセリの同時代の画家で「埋もれていない」巨匠を挙げるとすれば誰になるのでしょうか?

ウジェーヌ・ドラクロワ でしょうか。彼の作品もフィリップス展に出品されますよ!そして、モンティセリとドラクロワは、実際に交友関係があったことがわかっています。
ウジェーヌ・ドラクロワ 《海から上がる馬》 1860年 油彩/カンヴァス フィリップス・コレクション蔵

ドラクロワと言えば、僕らのイメージからすると、精密に作品を描いていく画家ではないでしょうか。
一方モンティセリはかなり自由に描いているように映って、ドラクロワも驚いていたんじゃないかな、なんて想像してしまいますね。
絵の具をあまり混ぜず、何度も厚く盛り上げて筆をおいていくという方法は、ドラクロワのロマン主義的な表現とは対極に感じられます。

ところで、ドラクロワは論理的な画家でもありした。骨格から勉強していましたし、リアルな描写の習作も多く残しています。文学や音楽にも造詣が深く、そういう点では「アカデミック」な人物でもあったのです。

美術史では、ドラクロワはまさに「巨匠」ですが、モンティセリは残念ながら、忘れ去られていた側面がありますよね。しかし、先ほど申し上げた通り、フィリップスの解釈としてはそうではなかった。これも所謂スタンダードな美術史とフィリップスの捉え方の違い、彼の独自性が表れている部分かと思います。

モンティセリの作品を所蔵している美術館はもちろんありますが、彼が活躍していた時代ではなく、ある程度時が経った時点で、彼の作品をわざわざ購入するのはなかなか出来ることではないと思います。自分が知らなかった画家を発見した時、その価値を自分なりに判断し、コレクションに加えるというのはとても柔軟な考え方ですよね。人は歳をとれば視野が狭くなってくるものですから、コレクターもだんだん同じ作家を買うようになる傾向があります。

現在持っている画家の作品を増やし、新しい画家を加えるのは「まぁいいか」と言うような感じで。

しかし、フィリップスさんはそうはならなかった。これはすごいことだと思います。ちなみに、似たような経緯で、ジャコメッティも彼のコレクター歴の中で最後のほうに購入した芸術家なんですよ。

――歳をとると視野が狭くなる……。というのは絵画の分野に関係なく、起こりがちなことですね。
フィリップスさんのコレクションに対しての誠実さのようなものさえ感じられます。

そういわれて、モンティセリついて思い出したことがあります。
実は1921年にモンティセリの作品を最初に購入しましたが、それは、モンティセリの典型的な作風ではなかったのです。

そこで、フィリップスさんは、自分のイメージにあう「モンティセリ」作品が出てくるのを、ずっと待っていました。そして、(待ちに待って?)ようやく手に入れたのが、今回展示される《花束》だと思います。

というわけで、フィリップスさんはモンティセリの作品を2点所有しています。
今回の展覧会で当館にやってくるのは想い入れの強いほうの作品《花束》。ぜひ実物をごご覧ください。

――印刷ではなく、実物の《花束》を見るのが楽しみになりました!
存在感薄めの「埋もれた巨匠」さんたちですが、掘り下げると色々な魅力がありました。皆さんも、展覧会に足を運んで自分だけの「巨匠」を発掘してみてください。


「フィリップス・コレクション展」
◆会期:2018年10月17日(水)〜2019年2月11日(月・祝)

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埋もれた巨匠を発掘!③:アドルフ・モンティセリ

皆さま、こんにちは。
本ブログでは、「フィリップス・コレクション展」に関連した、「埋もれた巨匠を発掘!」シリーズをお届けします。
ロジェ・ド・ラ・フレネ、ハインリヒ・カンペンドンクに続いて、今回の画家は、アドルフ・モンティセリ(1824-1886)。


――安井学芸員に伺います。本展の出品作品についての資料を見たところ、この花瓶のお花が気になりました。
粗い筆致と絵の具の力強さが、存在を主張していて。「アドルフ・モンティセリ」とはどんな画家だったのでしょうか?

アドルフ・モンティセリ 《花束》 1875年頃 油彩/板 Acquired 1961 フィリップス・コレクション蔵

なかなか渋いところをついてきますね(笑)。
モンティセリについては、画家としてももちろん、フィリップス・コレクションのラインナップに加わった経緯も興味深いのですよ。

彼が生きたのは、19世紀まっただなかのフランス。先にご紹介した、フレネやカンペンドンクよりも前の、ロマン派の後半、自然主義や写実主義の時代です。むしろモンティセリは先の二人の説明として出てきた「野獣派(フォービズム)」と言った人たちの先駆けであったといえるでしょうか。

ここで問題です。
先ほど指摘されていた、「絵の具の力強さ」「粗い筆遣い」に、「単色を重ねていく」という特徴も付け加えて、「巨匠」感のある画家、誰か思い浮かびませんか?

――凡庸な答えで恐縮ですが、そう言われて頭に浮かんでくるのは、まさに巨匠感あふれるゴッホくらいしか……。

大正解!(笑)。
実は、モンティセリが注目されるきっかけを作ったのは、フィンセント・ファン・ゴッホなんです。ゴッホが、彼の弟でありよき理解者でもあった、テオに宛てた手紙の中で、モンティセリを評価している記述があります。

その事実からゴッホに影響を与えた画家として、逆に注目されるという。そんな面白い現象が起こったのです。

ゴッホというと、「生きている間には絵が売れなかった」「耳を切り落とした人」など、そのドラマティックなエピソードや、皆さんの頭の中に思い浮かぶゴッホの印象から受ける「ゴッホらしさ」とでも言ったらいいのでしょうか。

その印象から、「感性の人」、「感情のままに絵をかく人」というイメージが強いかもしれませんが、とても勉強熱心で、絵画の歴史や画家についてよく学んでいました。ある意味頭でっかちな部分もあった画家でなのです。

――もしかして、フィリップスさんは、ゴッホの記述からモンティセリに興味を持ったのですか?

おお!鋭いですね。おそらくそうではないかと。
印象主義から現代までの(当時の意味で)モダニズムの流れを結びつける画家として、フィリップスは、モンティセリのことをコレクションになくてはならない画家、という風に考えたのではないかと思います。

つまり、コレクション全体を見渡して、モンティセリの作品が必要だと判断したのです。これは、バランスを重要視するダンカン・フィリップスというコレクターだからこその選択ともいえます。

この「埋もれた巨匠」シリーズに選出されたことからお気づきかもしれませんが、美術史の中でモンティセリは、マイナーな画家と言っていいと思います。彼の回顧展は、1995年にブリヂストン美術館さんが開催された、『特集展示:モンティセリ』くらいかと思います(さすがブリヂストン美術館さん!)。

―――モンティセリの同時代の画家で「埋もれていない」巨匠を挙げるとすれば誰になるのでしょうか?

ウジェーヌ・ドラクロワ でしょうか。彼の作品もフィリップス展に出品されますよ!そして、モンティセリとドラクロワは、実際に交友関係があったことがわかっています。
ウジェーヌ・ドラクロワ 《海から上がる馬》 1860年 油彩/カンヴァス フィリップス・コレクション蔵

ドラクロワと言えば、僕らのイメージからすると、精密に作品を描いていく画家ではないでしょうか。
一方モンティセリはかなり自由に描いているように映って、ドラクロワも驚いていたんじゃないかな、なんて想像してしまいますね。
絵の具をあまり混ぜず、何度も厚く盛り上げて筆をおいていくという方法は、ドラクロワのロマン主義的な表現とは対極に感じられます。

ところで、ドラクロワは論理的な画家でもありした。骨格から勉強していましたし、リアルな描写の習作も多く残しています。文学や音楽にも造詣が深く、そういう点では「アカデミック」な人物でもあったのです。

美術史では、ドラクロワはまさに「巨匠」ですが、モンティセリは残念ながら、忘れ去られていた側面がありますよね。しかし、先ほど申し上げた通り、フィリップスの解釈としてはそうではなかった。これも所謂スタンダードな美術史とフィリップスの捉え方の違い、彼の独自性が表れている部分かと思います。

モンティセリの作品を所蔵している美術館はもちろんありますが、彼が活躍していた時代ではなく、ある程度時が経った時点で、彼の作品をわざわざ購入するのはなかなか出来ることではないと思います。自分が知らなかった画家を発見した時、その価値を自分なりに判断し、コレクションに加えるというのはとても柔軟な考え方ですよね。人は歳をとれば視野が狭くなってくるものですから、コレクターもだんだん同じ作家を買うようになる傾向があります。

現在持っている画家の作品を増やし、新しい画家を加えるのは「まぁいいか」と言うような感じで。

しかし、フィリップスさんはそうはならなかった。これはすごいことだと思います。ちなみに、似たような経緯で、ジャコメッティも彼のコレクター歴の中で最後のほうに購入した芸術家なんですよ。

――歳をとると視野が狭くなる……。というのは絵画の分野に関係なく、起こりがちなことですね。
フィリップスさんのコレクションに対しての誠実さのようなものさえ感じられます。

そういわれて、モンティセリついて思い出したことがあります。
実は1921年にモンティセリの作品を最初に購入しましたが、それは、モンティセリの典型的な作風ではなかったのです。

そこで、フィリップスさんは、自分のイメージにあう「モンティセリ」作品が出てくるのを、ずっと待っていました。そして、(待ちに待って?)ようやく手に入れたのが、今回展示される《花束》だと思います。

というわけで、フィリップスさんはモンティセリの作品を2点所有しています。
今回の展覧会で当館にやってくるのは想い入れの強いほうの作品《花束》。ぜひ実物をごご覧ください。

――印刷ではなく、実物の《花束》を見るのが楽しみになりました!
存在感薄めの「埋もれた巨匠」さんたちですが、掘り下げると色々な魅力がありました。皆さんも、展覧会に足を運んで自分だけの「巨匠」を発掘してみてください。


「フィリップス・コレクション展」
◆会期:2018年10月17日(水)〜2019年2月11日(月・祝)

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